東スペマーク

東京スペレオクラブ

「東京スペレオクラブ」の設立について

【設立方針】

設立方針

 急峻な山の斜面を登り見つけ出した洞窟。

 入ってみるとそこには、永遠の時を刻む暗闇の空間が存在していた。
 我々は探検方針を定め、信頼をおく仲間達と心のザイルを結び合い、洞窟の奥へ奥へと歩を進めた・・・・・・・・・・

 我々はこれまで、ケイビング(洞窟探検)を通じ、誰も足を踏み入れたことの無い場所に自分の足跡を残す、或いは困難な洞窟探検を実行するといった己の探検心を満たす心の「躍動感」や、純白な鍾乳石や芸術的な溶食形態を見たときに包みこまれる「至福な感動」、また困難・苦難を供にする仲間達との「連帯感(きずな)」などを得てきました。

 そしてそのためには、ケイビングに係る知識、経験の蓄積及び技術の向上に努めてきました。

 我々はここに、「東京スペレオクラブ」を設立し、我々の求めるケイビングを、すなわち、「躍動感」、「至福な感動」、「連帯感(きずな)」などを至上のものとしてケイビング(洞窟探検)活動を行っていこうと決意しました。

 東京スペレオクラブは、老若男女、経験の有無を問わず、ケイビング(洞窟探検)に興味がある者誰もが集う場であり、その活動を通じて結果として意義のあること(もの)を残す、外に開かれたクラブでありたいと考えています。

 そして東京スペレオクラブは、クラブの本拠地である東京から、日本をリードするケイビングクラブにならんことを望んでいます。

【活動の目的】

 我々は、洞窟に関することを学術的に探求し、ケイビングの技術の向上とケイビングの普及を図るために、洞窟の発見、探検、調査に係る活動を行い、またケイビングを広く一般に普及しケイバーを育成する活動を実施することを目的とします。

【具体的な活動】

 上記活動の目的を達成するために、洞窟の発見、探検、調査、保護活動を行うとともに、ケイビングの普及活動を行います。
設立以後に行っている主な活動は以下の通り。

  • 岩手県住田町における洞窟総合調査
  • 1-2ヶ月に一度の体験ケイビング
  • 「日本洞窟学会第27回大会 ケイブフェスティバルin岩泉」のバックアップ
  • 内間木洞調査委員会が行う岩手県内間木洞調査への協力

「東京スペレオクラブ」発足までの歩み

発足までの歩み


山西敏光(東京スペレオクラブ10周年記念誌より引用)

 時が過ぎるのは早い。

 早くも東京スペレオクラブは結成から10年を迎え、ここに10周年記念誌を発行する事になった。
 会員も創立時から比べるとその顔ぶれはかなり替わってしまった。

 そこで10周年を迎えたこの機会に、どうやって東京スペレオクラブは結成されたのか、その歴史について、当時を振り返りながら書いてみようと思う。

結成のきっかけ

 まず、東京スペレオクラブが結成された2000年当時の東京周辺のケイビングの状況を説明しよう。


 その頃は「奥多摩ミーティング」という東京周辺のケイバーが集まるミーティングが毎月、新宿で開催されていた。

 このミーティングでは東京周辺のケイビング団体が、日頃のケイビング活動報告や新しい活動のメンバー募集、ケイビングに関する情報交換を行なっていた。
 この奥多摩ミーティングを通じて、複数のケイビング団体が合同で活動を行なったり、ミーティング後の飲 み会に参加することで、ケイバー同士の交流はかなり活発に行われていた。


 さらに、90年代から、ケイビングの先進国であるヨーロッパ、特にフランスなどでケイビング活動を経験したケイバーが現れてきた。

 彼らが持ち帰ったヨーロッパ各国のケイビング情報は、日本のケイバーには非常に新鮮なものに写った。
 特に、自前のケイビング装備、クラブハウス、レスキュー体制が確立した本格的なケイビングクラブの存在には目を見張った。

 こうした状況の中、既存のクラブには飽き足らなくなってきた者の中から、従来の日本にはないヨーロッパのような本格的なケイビングクラブの結成の動きが始まった。

 最初は、関西在住の大竹真(現姓:板倉、立教大学探検部OB)が、後藤聡(江戸川CC所属)に新クラブ発足を呼びかけたことから始まった。

 当時、大竹はCAVE88プロジェクト(秋吉台での洞窟探検が目的)、美山町プロジェクト(岐阜県美山町での洞窟探検が目的)という複数のプロジェクトに所属していたが特定のクラブには所属していなかった。
 その理由は、就職した初任地が金沢であり既存のケイビングクラブとは距離が離れていたこと、また、加盟していたプロジェクトの活動で多忙だったこと、当時の雨後の竹の子的に林立していた諸クラブが、ある団体は特定分野に対し先鋭的過ぎ、また別の団体は仲良しクラブ的であったなどで、余り魅力を感じなかったことによる。


 また、後藤聡は江戸川CCに所属する傍ら、奥多摩ミーティングを通じて活発に多団体と交流を深め、特にJapan SRT Projectの活動で得た豊富なSRT技術の啓蒙活動を通じて、東京周辺のケイバーの中心的な人物となっていた。

 またフランスなどのケイビング先進国に何度も渡航し、持ち帰った情報を日本のケイバーに啓蒙するという活動も積極的に行なっていた。
 その活動では、海外のような本格的なクラブ組織の必要性も説いていた。

 そんな状況下で大竹は全国各地で活動をしていく中、ある一定の層がいつも一緒に活動をしていることに気づいた。
 そしてより多方面で活動を本格的に継続していくためには、特定のプロジェクトではなく、受け皿団体を作った方がいいのではないかと思うようになった。


 そこでかねてより活動をともにすることが多かった後藤聡に対し、新クラブ設立を提案したみた。

 その当時、後藤が江戸川CCに所属するものの、活動のほとんどが外部と合同でやっている状況であり、どこの合宿に参加してもコーチ級のいわば「お客様扱い」であった現状に物足りなさを感じていたことに、大竹は薄々気づいていたからだ。
 案の定、大竹から「新団体でも作りますか?」と話を持ちかけたところ、後藤から二つ返事で「じゃあ作るか」ということになった。


 もともとケイビング先進国で多くのクラブを見てきていた後藤の頭の中には、どういうクラブを作りたいのか、その体制、方向性はある程度固まっていた。

 活動は竪穴、横穴にこだわらずオールラウンドに行い、ベテランはもちろん初心者も楽しめる活動を行なう。
クラブハウス、活動装備をクラブで所有し、それを維持するために会費を徴収する、組織を継続的に維持するため新入会員を定期的に募集する等、ケイビング先進国のクラブをそのまま実現することが夢であった。
 それを骨格にして新クラブの組織の原案をつくり、賛同者を募ることでクラブ結成を実現しようということになった。

 最初の呼びかけは2000年1月22日に行なわれた。

結成までの動き

 まず、最初にこの話に乗って来たのは、山西敏光(PCC、地球クラブ所属)、落合直之(明治大学地底研究部OB)、森住貢一(亀戸CC所属)の3名である。

 山西はそれまで所属クラブ内での活動が中心であったが、所属クラブの活動が低調になり始めていたこともあり、他団体との活動に積極的に参加するようになっていた。

 後藤・大竹とも活動を一緒にすることも多く、彼らと一緒にクラブを結成する事に何も疑問を抱いておらず、むしろこれだけ頻繁に活動を共にしているのにクラブとして組織化していないほうが不自然だと感じていた。

 また、落合は学生時代には非常にアクティブに洞窟に関わっていたが、就職後、海外勤務が長く続いており、この頃はちょうどフィリピン勤務が終わって帰国した直後だった。
 職業柄、何度も海外駐在となることから、日本でのケイビングを続けていくためには、いつも待っていてくれる仲間の存在、クラブという組織が必要だと感じていた。

 そして、森住は亀戸CCに所属していたが、明るく開放的な性格で誰とでも直ぐに仲良くなれるという特技を生かし、クラブの枠を超えて活動することを元々好んでいた。
 また、森住自身が社会人になってからケイビングを始めたという経験から、社会人の初心者を積極的に受け入れてくれるクラブの存在が、日本のケイビングの発展・普及のためには欠かせないと感じていた。


 この新たな3名を加えた5名で、頻繁にメール交換をして、クラブの方向性を定めていった。

 メンバー5名の新クラブに求める事はそれぞれ微妙に異なっていたが、各自が思い描いていた理想のクラブ像は、後藤の作った原案に近いものであった。
 そのため、大きな意見の対立はなく、比較的スムーズに議論は進んでいった。


 当初の議論で中心になったのは、いかに継続性のあるクラブを築くかということだった。

 従来から日本にも多くの洞窟団体が存在したが、そのほとんどは気の会う友達同士がいっしょに活動をするだけの同好会的なものか、一人の強力なリーダーがクラブを設立し、そのままクラブをリードしていく中央集権的なものに限られていた。
 そしてそれらのクラブのほとんどはメンバーの新旧交代が行なわれないまま、中心になるメンバーの活動が停滞すれば、そのままクラブも停滞し、そして消滅していった。


 そんなクラブをたくさん見てきた5名のメンバーは、組織で行なうことが基本のケイビングでは、その発展のためには、継続性のあるクラブ組織がいかに重要かという認識をみんな持っており、その実現のために真剣に議論を行なった。

 例えば、新しい組織の立ち上げには強力なリーダーシップを発揮するリーダーが必要であるが、リーダーのワンマン体制にすればクラブの継続性を維持することが困難になる。
 そのため定期的にリーダーが交代する制度を作り、クラブの運営は合議制を基本とすることが、まず最初に決まった。
 また、クラブも歳月を重ねれば、個々のメンバーは生活環境も変わり、ケイビングに関わることができなくなることも当然予想される。
 その中でクラブを維持するためには、新規会員の補充も重要である。
 そのためには、新規会員に魅力的なクラブにならなくてはいけない。


 そのためにはどうするか。
 一方、一度辞めた会員が生活環境が変わり、クラブに復帰する時にもスムースに戻ってこれる様にするためにはどうすれば良いのか。

 このように全ての議論は「継続性のあるクラブ」これを実現するために何をしなければいけないかが、その根底に流れていた。
 これはそれまでの日本のケイビングクラブにはない新しい画期的な動きだったと言っていいだろう。


 5名の中で、大竹は兵庫県という遠距離に在住していたこともあり、議論の中に深く関わることは少なくなっていった。
 しかしクラブ設立の一番最初の発起人であることには変わりなく、いわば東京スペレオクラブの生みの親というべき重 要な人物であった。
 また、森住も、性格的にメールでの議論は性に合わない様で、あまり議論に加わることはなかった。

 ということで、この頃の議論は、後藤・落合・山西が中心になっていたが、特に落合はクラブの理念を確立する事に熱心であった。
 持ち前の情熱的な言葉で、みんなに繰り返し何度も理念を訴え続けた。
 ともすれば後藤を中心とした理屈っぽい議論により、クラブ設立の目的が見えにくくなることがあったが、その都度、落合は理念を訴えかけ、方向性を見失わないようにした。


 新しい組織を作るとき、その組織は何のために作るのか、その理念をみんなで共有することはとても重要なことである。
 そして、組織を継続発展させる時も、また困難にぶつかった時も、この理念がみんなを支えてくれる。

 また後藤は、ケイビングに対する豊富な知識・経験を生かして常に議論をリードし、議論の中では知恵袋のような働きをしていた。
 この落合・後藤の存在は東京スペレオクラブ設立に欠かせないものだったといえる。

 また、この5名はケイビングを通じて知り合った者ではあったが、決してどんなことに対しても考えが合う者、単なる仲の良い友達同士という関係ではなかった。

 ケイビング経験もそれまで所属していたクラブ・団体もバラバラであり、ケイビング活動を共にすることはあったが、それはあくまでも活動をするために集まったのであり、単純に気が合うからというわけではなかった。
 そんな5人が集まったのも、クラブの設立理念に心から共感したからである。


 こうした関係の5名が設立時のメンバーであったことは、クラブの基礎ができ、その後のクラブ独自の性格が形成されていく際に大きな影響を与えたと思われる。

 単なる友達同士ではない、ケイビングの経験や技術も異なる、年齢も異なる、性格がピッタリと合うわけでもないそんなバラバラなケイバー達がそれぞれの理想を実現するために、協力してクラブを作っていくのである。
 そのためには、お互いの意見を尊重することはもちろん、自分の意見もはっきり表明しなければいけない、そしてそれがコミュニケーションの向上、ひいては内部にも外部にも開かれた風通しの良いクラブの実現へとつながっていく。

 また意見の調整をするためには頻繁なミーティングも必要であり、また運営のためのルールを定めて守っていくことも必要である。
 こうした議論を5ヶ月ほど続けた頃、東京スペレオクラブの骨子と言えるものが完成した。


 その中でクラブの名称は「東京スペレオクラブ Tokyo Speleo Club」に決まった。

 これはSpeleo(英語のSpeleologyの簡略形:洞窟探検、洞窟学という意味)という言葉を日本のクラブの名称に正式に使った初めての例と思われる。
 この意図は、海外での活動を意識したものだ。
 欧米のクラブにはSpeleoを使ったものが多く存在しており、海外での活動でTokyo Speleo Clubと名のることは日本の東京の洞窟団体だということがすぐに分かるからだ。

 ただし、日本ではなじみのない言葉なので、洞窟関係者でない一般の人からは「東京ステレオクラブ」などと間違えて呼ばれることも多く、その都度、クラブ関係者は落胆する事になる。


 ところで、これには裏話がある。

 「東京ケイビングクラブ」という誰もが最初に考えるであろう名称も候補として当然挙がったのであるが、90年代後半に SPELEX(東京ケイビングクラブ)という名のケイビング団体がすでに存在していたのである。
 この団体は発足直後、ほとんど成果を残すことなく消滅していたのだが、まだその存在がみんなの記憶に新しい時期だったので、この名称を使うことは当然出来なかった。

設立へ向けて

 組織の枠組みが固まった時点で、東京周辺のケイバーに広くメンバー募集を呼びかけた。

 クラブに興味を示し参加することに賛同してくれたものは、その多くが大学を卒業した直後で、まだケイビングに対する情熱は持っているが所属するクラブがない者、もしくは元々所属するクラブを超えて多団体と活動を活発に行なっていた者に限られていた。


 そしてそれら賛同者を集めて「東京スペレオクラブ発足ミーティング」が開催された。
 日時は2000年6月24日、場所は新宿「らんぶる」だった。

 この時集まったメンバーは発起人が落合、後藤、山西、森住の4名、以下賛同者が、阿部、湊、大久保、富永、宮崎、村田、山下、の7名。
 合計11人であった。


 ミーティング内容は、まず最初にクラブ設立の目的と方針の説明、次に会則案の説明。最後に参加者同士の意見交換だった。

 この場で、賛同者の入会が確認され、晴れて東京スペレオクラブとして発足する事が正式に決まった。
記念すべき設立日は2000年7月1日になった。

 その後、東スペ初期メンバー14名で第1回の総会が2000年7月27日に開かれ、初代会長に落合が就任することが、会員の投票により選ばれた役員の中から決まった。

 こうして東京スペレオクラブが誕生したのである。

あとがき

 こうやって設立時のことを思い出しながら書いてみたが、改めて感じたことは、設立時の方針・理念は間違えていなったということだ。

 長い年月を経てメンバーが大きく変わっていく中、こうして10周年を迎えることが出来たのも、組織の枠組みがきちんと出来ていたこともあるが、それを維持してきた会員一人一人の努力、協力のおかげだと思う。
設立メンバーの一人として、会員の皆さんには改めて御礼を述べたい。

 また、東京スペレオクラブはバラバラで統制が取れていない、一体感のないクラブだとよく批判的に言われる。

 しかし、こういったクラブの性格が出来上がったのも、こうやって設立当時の流れを見て見ると、当然であることがよく分かる。

 東京スペレオクラブは単なる仲良しが集まって出来たクラブではなく、強力なリーダーが設立したクラブでもないのである。
 会員一人一人が自分の理想とするケイビングを実現するために、東京スペレオクラブというクラブの理念に共感し、そこに集まって来たのだ。
 クラブの設立理念こそが、会員みんなをまとめる唯一のものだと信じている。

 今後クラブの歴史が続く中、困難な壁にぶつかることも当然ながらあるだろう、その時は会員のみんなはクラブの設立理念をもう一度思い出して欲しい。
 危機に直面した時に一体になれるかどうか、それが本当の意味でクラブのまとまりを問われる時だと思う。

 クラブの理念の元に会員みんなが一つになれば、きっと乗り越えることができると思う。

「東京スペレオクラブ」の活動理念

使命 (何のためにクラブが存在するのか)

一、会員がケイビング活動を通じ、うるおいの有る人生をおくる
二、地球に住む人類の大切な自然資源である洞窟を、そのありのままの姿で後世に残すことに努める
三、活動の結果、社会に貢献する

活動 (使命を果たすために何を行うのか)

一、洞窟の発見、探検及び調査を行い、洞窟に関する全てのことを学術的に探求すること
二、ケイビングの技術の向上及び普及を図ること
三、洞窟の保護を促進すること

「東京スペレオクラブ」会則

第1章 総則

(名称)
第1条  会の名称を「東京スペレオクラブ(TOKYO SPELEO CLUB)」とする。

(目的)
第2条 本会は洞窟に関することを学術的に探求し、ケイビングの技術の向上並びに普及を図ることを目的とする。

(構成及び運営)
第3条 本会は会員をもって構成され、運営は役員会が行う。 

第2章 活動 

(内容)
第4条 第1章第2条の目的を達成するために、次の活動を行なう。
(1) 洞窟の発見、探検、調査、保護活動
(2) ケイビングの普及活動
(届出)
第5条  活動を行うにあたっては、事前に計画書を作成し、役員会へ届け出なければならない。

2 役員会は届け出のあった合宿の内容について、本会の活動趣旨に反する、人命に係る危険性が高いことなどを見出したときは、合宿の中止勧告を行える。

(合同合宿)
第6条 
(1)会員による他のケービング団体との合同の活動は、これを妨げない。
(2)他のケイビング団体・組織が主催する活動への参加は、日程、目的地、同行者、活動内容、責任者とその連絡先、緊急連絡先を役員会へ届け出なければならない。

第3章 組織

(会員)
第7条 「ケイビングに関心のある者」は本会の会員となる資格を有す。

(入会)
第8条 本会への入会には役員会の同意を必要とする。

2 本会の会員の他団体への加入は、これを妨げない。
(会員の義務)
第9条 会員は次の義務を果たすことを求められる。

(1) 月毎の会費を納めること。
(2) 定期総会及び定例ミーティング等に出席すること。ただし、遠隔地に居住する等の理由がある場合はこの限りではない。
(3) 会員への迅速且つ公平な情報の伝達を図るために、e-mailを送受信出来る環境を構築すること。
(4) 合宿等の活動に参加するにあたっては、ケイビングに有効な保険に加入せねばならない
(5) その他
(会員の権利)
第10条 会員は次の権利を有する。

(1) 会誌などの配布を受けること。
(2) 本会の催す講習会などに参加すること。
(3) 会の事業,運営について意見を述べること。
(4) 本会の所蔵する資料、装備、クラブハウスなどを利用すること。
(5) その他

(役員会)
第11条 本会の運営及び活動方針を定めるために役員会を置く。
2 役員会は会長1名、副会長2名、理事2名からなる。
3 役員の任期は2年間とする。
4 役員は全会員による選挙により選出される。
5 会長は役員の中から互選により選ばれ、その任期は連続して2期までを限りとする。
6 役員会での議決は役員の2分の1を超える賛成がなければ成立しない。
7 役員会で議決した事項は、総会に報告しなければならない。
8 任期途中で役員が退任した場合は、任期の残りが半年以上ある場合は補欠選挙を行う。

(総会)
第12条  総会は年1回開催する。ただし、役員会で必要と認める場合は、別途開催することができる。

2 総会は本会の運営方針を決める最高議決機関とする。
3 総会における議決は、出席者のうち一般会員と学生会員の過半数をもってする。

(役員の罷免)
第13条 会員総数(一般会員、学生会員)の4分の3以上の同意により、役員を罷免することが出来る。

(事務局)
第14条 本会の運営を行なうために、役員会より任命された会員からなる事務局を設置する。

2 役員会は、必要と認められる役職に会員を任命する。
3 事務局員の役員との重任は、これを妨げない。

(会計)
第15条 本会は会員の会費によって運営される。
2 会員は次のとおりの会費を納めねばならない。

  • (1) 一般会員:月1500円 
  • (2) 学生会員:月500円* 
  • (3) 賛助会員:年額2000円**

* 学生会員とは、生活の大半を学生として過ごしている人のことである。なお、学生である事実のみで、役員会での承認なしに学生会員となれる。

** 賛助会員とは、活動には参加しないが、東京スペレオクラブの活動を援助したいと考えている会員のことであり、選挙権はあるが会の親睦的な行事以外は原則として参加できない。  なお、賛助会員になるには、理由を付して申請をし、役員会での承認を受けなければならない。また、申請するにあたり、それまでの期間、一般会員の場合は申請期間までの会費を、納付していなければならない。

(減免)
第15条の2 遠隔地に居住することになったなど、定期的に活動に参加できなくなった会員については別表のとおり減免する。 なお、減免するにあたり、理由を付して申請をし、役員会での承認を受けなければならない。 また、申請するにあたり、申請期間までの会費を、納付していなければならない。
なお、遠隔地要件が外れたり、遠隔地といえども定期的に活動等に参加する実態がある場合は、減免対象ではなくなる。

別表
名称 会費(月額) 会費(年間) 該当例
減免 250円 3,000円 遠隔地とは、概ね一都六県以外を想定し、容易に活動やミーティングに参加できない場所に居住していることをいう。

3 必要経費の支出は、総会で承認された予算案に基づいて行う。予算案を超える支出を行う場合は、役員会の議決を経た上で月例ミーティングで出席者の過半数の同意を得ること。

(休会)
第16条 会員の都合により一定の期間、本会の活動に参加することが出来ない場合は休会扱いとする。

2 休会期間は最低1年間までとする。なお、期間を経過した際に復会するか退会するかを報告しなければならない。復会は、休会期間に関わらず本人が希望すればいつでも可能とする。

(退会)
第17条 役員会は、会員に次の事態が生じた場合は、当該会員に対し退会の勧告を行ったのちに退会させることができる。

  • (1) 会費を1年以上滞納し続けたとき。
  • (2) 著しく本会の秩序を乱す行為を続けたと認められるとき。 (3)予告なく役員会との通信が不通となったとき。
  • (3) 予告なく役員会との通信が不通となったとき。
  • (4) 1年間の休会後に、復会するという報告がされなかったとき。

第4章 会則(改正)

第18条 本会則の改正は、総会において出席者の過半数の承認をもってする。

(その他)
第19条 役員選挙、事務局運営、会誌編集及び救助体制等に関する規程は別に定めるものとする。

附 則 本会則は2000年7月29日より施行する。
附 則 本会則は2001年6月07日一部改正
附 則 本会則は2002年7月21日一部改正
附 則 本会則は2003年7月12日一部改正
附 則 本会則は2006年9月10日一部改正
附 則 本会則は2011年7月24日一部改正
附 則 本会則は2014年6月14日一部改正
附 則 本会則は2017年6月24日一部改正

「東京スペレオクラブ」事故救援規則

第1章 救助活動

(事故分類)
第1条 事故が発生した場合は、本会は次の原則に基づき事故対策本部を設け、具体的救助活動を指示する。
(1) 本会あるいは会員が主催、もしくは共催した計画で、会員及び会員外参加者の活動中の事故にあたっては、本会が中心となって救助にあたることを前提とする。
(2) 会員が参加し本会に届けがあった他団体が主催した計画で発生した事故にあたっては、主催団体と協議の上、本会は救助にあたることを前提とする。
(3) 本会に届けのない計画で、救助要請が本会に救助要請があった場合、役員会の協議によって救助を行うかを決定する。

(対策本部)
第2条 事故対策本部は事前に策定した「事故発生対策マニュアル」の取り決めにより、事故対策本部長を決め、本部長の指示により設置場所や人員配置案を定めることとし、発足にあたって会の承認は必用としない。
2 「事故発生対策マニュアル」は役員会により任命された者が作成し、会員へ周知する。

(費用の支出)
第3条 事故対策本部は、事故救援対策費を事故救援費用規則に基づき、自由に使用できる。
2 事故救援活動終了後、事故対策本部は会計報告を役員会へ提出し承認を受けなければならない。

(救助協力)
第4条 本会会員は、事故対策本部の要請に応じて、救助活動に協力する義務をもつ。
2 適切な事由がある場合は、本会会員は要請を拒否することができる。

第2章 救助費用

(救援対策費)
第5条  洞窟で事故が発生した場合の、救助活動費用として本会は事故救援対策費を設ける。
(1) 事故救援対策費は、会費、事業収入、一時金徴収等により積立てを行い、当面50万円を目標とする。

(対策費の運用)
第6条 事故救援対策費は、一般会計とは別枠で運用し、事故発生時のみに使用できる。
2 利子は一般会計に繰り入れる。

(返済)
第7条 事故救援対策費を使用した場合、使用した金額は事故当事者が保険などを使用して全額返済することを原則とする。
2 事故救援活動規則第1条(1)にあたる事故の際には、総会の承認により返済を免除することができる。
3 事故救援活動規則第1条(2)で本会会員が事故当事者であった場合、総会の承認により返済を免除することができる。
4 全額返済が直ちに行えない場合、事故者本人および事故当事者は事務局と協議の上、返済計画をたて、できるだけ速やかに返却する。

第3章 負担の範囲

(費用使途)
第8条 事故救援対策費の使途は、救助活動にかかる費用とする。
2 緊急を要する時に使用したヘリコプター費用は、全額事故当事者負担とする。

(主催・共催活動)
第9条 第1条(1)にあたる事故の際、費用取扱いについては次のように定める。
(1) 当座の救助活動費用は必要に応じて本会が事故救援対策準備金より負担し、後日清算を行う。
(2) 救助活動費用が保険の限度額を越えた場合、不足分はカンパ活動、家族との話合いで対処する。

(個人参加活動)
第10条 第1条(2)にあたる事故の際、費用取扱いについては次のように定める。
(1) 当座の救助活動費用は必要に応じて本会が事故救援対策準備金よ

「東京スペレオクラブ」役員選挙規約

(役員の選出)
第1条 役員は会員の投票により会員の中から選出される。

(被選挙人)
第2条 役員になれるのは一般会員(学生会員含む)のうち、減免会員を除いた者となる。
なお、役員就任後に減免会員になった場合は、役員会の決議により罷免するか継続するかを決めることとする。

(投票)
第3条 各会員は役員の選出のために、2票を投ずることが出来る。
(1) 投票は無記名で行い、その結果は公表する。
(2) 投票により、投票数の多い者より、会長1名、副会長2名及び理事2名の候補となる合計5名を選出する。

(有効投票数)
第4条 会長等候補者を選出するための有効投票数は選挙人の1割以上とする。

(得票数)
第5条 得票数が同数で、且つ定員枠に基づきどちらか一方のみの選出が必要なときは、東京スペレオクラブ在籍年数の多い者を優先し選出する。
(1) 在籍年数を同じくするときは、年長者を選出する。

(再投票)
第6条 有効投票数を獲得出来ず、5名の候補者を選出出来ないときは、不足した候補者数を選出するために再選挙を行う。

(会長の選出)
第7条 上記投票によって選ばれた5名は、互選により会長を選出する。

(副会長の選出)
第8条 会長は投票により選出された他の4名の中から、副会長2名を指名する。

(役員の欠員)
第9条 任期途中で役員が退任した場合は、任期の残りが半年以上ある場合は補欠選挙を行う。

  • (1) 会長が欠員のときは、副会長以下4名と補欠選挙により選出された者を加えた5名の中から、新たに会長を互選により選出する。
  • (2) 副会長が欠員のときは、現の理事2名及び補欠選挙により選出された1名を加えた3名の中から1名を会長が指名する。
  • (3) 理事が欠員のときは、補欠選挙により選出された者が就任する。

(選挙の公告)
第10条 選挙は役員の任期が満了する日の前までに告示、選挙を行うこととする。

(その他)
第11条 本規則の変更は総会の議決によって行う。

付 則
この規約は2000年7月29日から発効する。

附 則
本会則は2017年6月24日一部改正(2017年7月1日施行)

構成メンバー

発足までの歩み

活動体制

下記の事務局などは2010-2011年度のものです。
一部未確定・未確認の人がいます。

※赤字:2019/8/13更新

役員

会長 遠藤 幸絵
副会長 野池 耕平
黒田 朋子
理事 相場
木崎

プロジェクトリーダー 洞窟総合調査

Project Galaxy
イザナギ(伊邪那岐)プロジェクト 野池
中国峰林プロジェクト 後藤
モンゴル遠征 森住
ベトナム遠征 黒田

会員リスト

東京スペレオクラブの会員リストです。大学探検部出身者だけでなく、社会人になってから始めた人など20~40代の様々な人がいます。

名前(Name) 居住地 入会年度 ケイビング歴 その他の所属・役職など
安東 浩正(ANDOU,Hiromasa) 神奈川県 2006.4 数年程 冒険サイクリスト、2003年「植村直己冒険賞」受賞
後藤 聡(GOTO, Satoshi) 東京都 2000.7 30年程 日本洞窟学会会長
平井 順子(HIRAI, Jyunko) 東京都 2002.12 10年程  
木崎 裕久(KIZAKI,Hirohisa) 東京都 2000.9 30年以上 日本洞窟学会委員会役員、富士山火山洞窟学研究会
小林 日(KOBAYASHI, Ayumi) 東京都 2008.5 15年以上 横濱ケイビングクラブ、日本洞窟学会員
幸田 千聖(KODA, Chisato) 埼玉県 2010.7 5年程  
栗栖 隆一(KURISU,Ryuichi) 東京都 2007.4 15年程 日本洞窟学会員、ケイビングジャーナル編集長
森住 貢一(MORIZUMI,Koichi) 神奈川県 2000.7 30年程 横濱ケイビングクラブ、日本洞窟学会委員会役員
中込 幸子(NAKAGOMI, Yukiko) 東京都 2007.2 10年程 日本洞窟学会員
野池 耕平(NOIKE,Kohei) 東京都 2005.5 15年程 日本洞窟学会員
落合 直之(OCHIAI,Naoyuki) 東京都 2000.7 30年以上 日本洞窟学会事務局員、-1000mケイバー
岡村 聖子(OKAMURA,Seiko) 埼玉県 2002.12 10年程  
キム キャロリン(KIM, Carolyn) 東京都 2010.7 1年程  
細木 満寿恵(HOSOKI,masumi) 東京都 2011.4 4年程  
遠藤 幸絵(ENDO,Yukie) 神奈川県 2011.7 9年程  
黒田 朋子(KURODA,Tomoko) 神奈川県 2011.7 12年程  
脇 優生(WAKI,Yusei) 東京都 2013? ?  
篠田 康人(SHINODA,Yasuto) 東京都 2014 1年程  
島崎 竜一(SHIMAZAKI,Ryuichi) 埼玉県 2014 1年程  
田宮利和(TAMIYA,Toshikazu) 東京都 2014.9 1年程  

休会中の会員

名前(Name) 居住地 入会年度 ケイビング歴 その他の所属・役職など
千葉 伸幸(CHIBA,Nobuyuki) 東京都 2000.9 10年程 地底旅団Rover元老院代表、日本洞窟学会(CJ編集委員長)
井戸 洋子(IDO,Yoko) 静岡県 2006.10 5年未満
河合 明子(KAWAI,Akiko) 東京都 2002.1 15年程 日本洞窟学会員
城戸 晃一(KIDO,Koichi) 東京都 2004.7 1年以上 海外在住のため休会
河合 明子(KAWAI,Akiko) 東京都 2002.1 15年程 日本洞窟学会員
湊 幸栄(MINATO,Koei) 東京都 2000.7 15年程 ケイビングジャーナル編集員、-1000mケイバー
大河内 亜由美(NAKANO, Ayumi) 神奈川県 2007.10 10年程
山西 秋(OKUBO,Aki) 東京都 2000.7 10年程
上田 雄士(UEDA,Yuji) 東京都 2002.6 20年程
山田 雅子(YAMADA,Masako) 茨城県 2005.11 5年程
山西 敏光(YAMANISHI,Toshimitsu) 千葉県 2000.7 25年程 パイオニアケイビングクラブ、日本洞窟学会(ケイビング・ジャーナル編集長・洞窟救助委員)、-1000mケイバー
岩切 恵美子(IWAKIRI, Emiko) 東京都 2010.4 5年程
石川 典彦(ISHIKAWA,Norihiko) 千葉県 2000.7 25年程 日本洞窟学会委員会役員
松澤 亮(MATSUZAWA,Ryo) 埼玉県 2000.11 10年程 日本洞窟学会員、亀戸ケイビングクラブ
宮崎 朋彦(MIYAZAKI,Tomohiko) 大阪府 2004.9 10年以上 -1000mケイバー
小池 純(KOIKE,Jyun) 東京都 2000.7 15年程 -1430mケイバー
後藤 晃一(GOTO,Koichi) 神奈川県 2009.4 数年程

会費を1年以上滞納し、退会勧告中の人は省いてあります

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