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7月14日
朝、8時半に宿を出る。空港でチェックインをし、定刻より遅れた飛行機が来るまでコーヒーを飲みながら待つ。べロ・オリゾンテに着いたあと、ブラジリアへの飛行機に乗り換えることになるのだが、ここでは6時間の待ち時間があった。出発まで時間があるので、べロ・オリゾンテに住む洞窟考古学者のAndré氏が近くに湖や18世紀の街があるから観光してくればと提案してくれた。
湖はすぐ近いだが18世紀の街は遠くお金がかかると言われたが、だらだら待つのには耐えられないので小林さんと行くことにする。ウィリアム氏とマーデン氏は湖までタクシーに同乗し湖の周りを散歩するそうだ。
我々は湖を少し見た後、SABARAと言う18世紀の金の採掘で栄えた街へ向かう。車で30分程の距離であった。多くの古い教会と石畳が特徴的な町である。それらの教会や1734年に築かれた建物を利用した博物館などには多くの磔になったイエスの像があったのが印象的である。博物館には金鉱の立体測量図があった。15時半頃に空港に戻り、空港で待っていた人々とレストランでビールを飲む。
待合室に移動し飛行機を待つ。安さを売りにしたGOLという航空会社の便であったためか、定刻になっても飛行機が来ないし、運行状況を示すディスプレイから突然便が消えてしまうなど、皆困惑したが、間もなくボーディングが始まるとのことであった。半信半疑のまま並んで待つが、飛行機はまだいない。と思っていると突然着陸して来て、あっという間に客を降ろし直ちに搭乗となった。清掃する時間があるのか謎である。
ブラジリアに着き手荷物受け取りのターンテーブルに向かう途中でスペレオ・ブラジルの到着者のチェックと案内をしている人がいた。案内係に連れられるまま車に乗せられホテルヘ行く。初日の予約のなかった小林さんも同じEronホテルに1日だけ泊まる。彼女は明日からユース・ホステルでテント生活になる。部屋に一度入ったあと食事のため近くのショッピングセン夕ーに皆で行く。センターには多くの店と映画館とフード・コートがある。フード・コートは大きなホールの中にテ一ブルといすが並び、その回りを様々な店が囲み客は好きなものを買って食べるスタイルだ。アマゾン料理から、マクドナルド、イタリアン、中華、そして鮨もあった。
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7月15日
朝、8時半に食事のため最上階のレストランへ行く。食事をしている人の多くは関係者のようであった。会場に一番近いと言うホテルのことだけはある。UIS会長のジュリアンなども泊まっているようだ。前夜、グレイスから何人かを紹介された。また朝食の時、上野先生にも会った。
この会議には500人ほどの出席があるとのことで、オーストラリア人は15人だとジュリアンから聞いた。13時に会場に行くバスとのことなので、それまで部屋で休んでいた。
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13時にロビーに降りるが誰もいない。どうしようかと思っていると、上野先生が通りかかったのでー緒に歩いて会場へ行く、歩いて10分かからないぐらいだ。どうも、このあたりの連絡は徹底しておらず、この後も困惑することが多かった。
会場は国際コンベションセンターであるが、それほど巨大ではない。バスケットコートが3~4個入るぐらいのホールと1000~2000人ぐらい入る劇場、それにセッション会場となる会議室群である。会場で参加登録を行なう。登録時には各札や資料とロゴの入ったカバンを一つ受けとった。
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会場内を見て回わるが、まだ設営中の所が多く、あまり面白くない。そうこうしている間に、フランスのフロランや4年前の洞窟救助訓練で一緒だったMs. Badr J.Gedeon(レバノンの洞窟救助組織の代表)、Christian DODELIN氏(フランス洞窟救助委員長)らに再会した。
20時のオープニング・セレモニーまで時間があるので、会場脇に設営されたBarでビールを飲みつつ、参加する講演を決めた。ケイブ・レスキュー関連の全てと、興味のあるものと時間を埋めていった。残りの時間はスペル・メディアに割り振る。少し店も開いてきたので、いくつか見て回りスペインの資料を買う。しかし装備屋も本屋も少なく、4年間前のスイスでの大会の時のように欧米のショップがたくさん出展していたのとは大きく違う。代わりに広い会場を生かして、洞窟風の飾り付けをした大きなブースが設営されつつあった。これはブラジルの洞窟保護に関係するIBAMAという国家組織の出展であった。さすがに金のかけ方が違う。いずれにせよ、国際コンベションセンターを借り切るところからして、相当な援助を受けているのだろう.
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さすがに暇になってきたので、ショッピングセンターに買い物に行き、時間をつぶした後、ホテルに一旦戻り18時半に会場へ戻った。 ここでもまた昨年、ヨーロツバで行われた洞窟会議のレポ一ト集とブラジル製スペレオカレンダーを後先考えずに買った。
20時になったので隣接しているメインの舞台会場へ行った。入口で同時通訳(といってもポルトガル語と英語)のレシーバーの貸出しが行われていた。まもなく開会の言葉のあと、生演奏が始まった。その後、演上に並んだVIP(ブラジル洞窟学会やUIS、ラテン・アメリカ・カリブ洞窟連合たどの会長)のスピーチが始まる。一人だけ15分近く演説をした人もおり時間が1時間半程かかった。最後にブラジルの洞窟を紹介するビデオが上映されて終わった。
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このあとはメインのホールに戻り、カクテル・パーティとなるが、ここはやはりブラジル。ソフトドリンクが主体であとはカイピリーニヤとピンガだけである。ワインやビールは無い。軽食はパンに付けて食べるペーストとハム、チーズ類、それに何故かカニカマボコであった。ここでも色々な人と話をする機会があった。韓国のWoo博士は来年7~8月のイベントに日本から多くの人が来て欲しいと言っていた(注1)。
アリーシアは父のホセがアイスランドやブラジルの遠祉をしてぃるイタリア・ブラジル混成のAKOKOR TEAMの女の人と腕を組んで行ってしまったと何故か不満そうであった。スペレオ・アートのコーナも開きブラジル人の手による洞窟写真や絵、模型、オブジェなどさまざまな物の展示があった。写真展は良くあるが、油絵や洞窟模型などの展示は初めて見るので珍しく感じた。ブリキか何かを組み合わせて作られたSRT人形も良くできていた。
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(注1):翌年韓国サムチョク市で、国際洞窟博覧会が行われ、日本洞窟学会も出展した。詳しくは日本洞窟学会の紹介ページを参照。 |
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