第13回国際洞窟学会議

Speleo Brazil 2001 参加記

後藤 聡

 2001年7月にブラジルで行われたSpeleo Brazil 2001に参加した。このイベントはUnion International Speleology(UIS;国際洞窟学連合)が開く第13回洞窟学国際会議と、ラテン・アメリカ・カリブ海洞窟学連合(the Speleological Federation of Latin America and the Caribbean ;FEALC)、 ブラジル洞窟学会(the Brasilian Society of Speleology ;SBE)がそれぞれ毎年行なっている年次大会とが合同したものである。私は7月9~14日の間はブラジル南東部のミナス・ジェラス(Minas Gerais)州北部のイタカランビ(Itacarambi)で行われたプレ・エクスカーション、 15~22日は首都ブラジリア(Brasilia)での本会議。 23~29日はサン・パウロ(São Paulo)州西部のイポランガ(Iporanga)でのポスト・エクスカーションに参加した。その際に記した日記から構成しケイビングジャーナル誌に掲載した文を再構成したものである。写真に幾らか偏りがあるが随時追加する予定です。


7月7~8日
 19時の飛行機で成田を出発する。ロサンゼルスに給油のため立ち寄った後、サン・パウロへ向かい、さらにリオデジャネイロ行きの飛行機に乗り換え、さらにミナス・ジェラス州の州都ベロ・オリゾンテ(Belo Horizonte)への飛行機に乗り換えた。ベロ・オリゾンテでは、同じエクスカーションに参加する亀戸ケイビングクラブの小林さんと待ち合わせ、タクシーで市内のホテルへ向かった。地球の裏側と言われるだけあり、日本を出発してベロ・オリゾンテまで24時間以上かかったため、昼に着いたにもかかわらず、何処へも行けずホテルで夕方まで惰眠をむさぼった。夕方から食事に外に出たが、言葉もわからず、食堂のシステムも料理も判らないので、しばし彷徨ってしまったがなんとか夕食にはありつけた。ホテルに戻ると北九州からホームステイで留学している女子高生と出会い、彼女からいくらかブラジルの情報を得ることができた。

7月9日
 朝、昨日の空港とは異なる国内線用空港へ行く。空港の待合室では、クロアチアの洞窟学者であるマーデン(Dr. Mladen Kuhta)と出会い、機内ではニュージーランドのスペレオロジスト、ウィリアム(Dr. Paul W. Williams)、そしてモンテス・クラロス(Montes Claros)でその他の大勢のケイバーに出会った。皆、ケイビング・バッグを持っていたり、洞窟Tシャツを着ているので、顔見知りでなくともすぐに判別できる。モンテス・クラロスでは現地を案内してくれるホセ(José Ayrton Labegalini)氏らが待っていた。飛行機のアクシデントで3人のオ一ストラリア人が遅れたため、総勢10名の参加者であった。

サン・フランシスコ川

モンテ・クラロスから宿泊地のイタカランビまでは250kmほどあり、車で3~4時間の距離である。12時頃に途中の町で昼食をとった。カフェテリア形式で大きな一つの皿の上に様々な料理を取り、その重さで料金が決まるタイプの店であった。この手の店はブラジルでは良く見かける。
 その後1時間ほどでサン・フランシスコ川(São Francisco River)と言うミナス・ジェラス州を南北に走る大きな川を渡り、Januárioという大きな町で国立公園の入域許可を取る。さらに1時間ほど走ると、現地事務所についた。このあたりの標高は500~750mほどである。

ジャネイロ・ケイブのカルストウィンドウ

ここで車を一台にして、ダートの道を30分ほど走ると、突然左手にドリーネらしきものが見えてくる。車を降り、歩いて行くと、直径200~300m。深さ100mあまりあろうかという陥没ドリーネに出る。このドリーネの底に見えるのがジャネイロ・ケイブ(Gruta do Janerão) という有名な巨大洞窟である。洞口には長さ20mのつらら石が垂れていた。洞窟の底にはペリカウ川(Peruaçú River)というサン・フランシスコ川の支流が流れている。この川がこのBambuiと呼ばれる地質帯の中に点在するBambui石灰岩層を20kmほど貫いて流れ洞窟を形成したとのことである。

Bambui石灰岩層はMinas Gerais、Bahia、Goias、およびTocantinsの州にまたがる。これに含まれる石灰岩帯は、層厚200m以上で、ほとんど水平に堆積した粒の細かな石灰岩が特徴的である。
ドリーネ見学の後、イタカランビの町にひとつだけあるホテルに行く。部屋はベッドにトイレ・シャワーの簡単なものである。特にシャワーヘッドで電気過熱する形式のシャワーは、なんとなく感電しそうで怖い。
 19時半からサン・フランシスコ川のほとりにあるレストランヘ皆で行き、魚をメインにした食事をした。ブラジル料理をたくさん食べたあと21時頃からスライドを見た。ブラジルの穴と壁画などであったが、疲れのせいか途中で舟を漕いでしまった。スライドが終わる22時半頃に、飛行機に乗り遅れたオーストラリアの人々が来た。4年前にフランスのレスキュー訓練で出会ったUISの洞窟救助委員会の副委員長であるグレイスに再開した。彼女らは、そのあとから食事をしてスライドを見たそうである。元気だ。

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